行きつけのコンビニの店長は、いつも怒ったような顔をしている。生まれつき険しい容貌の人がいて、私も眉間に皺が寄りがちで誤解されるからきっとそうなんだろうと思っていた。
あるときコンビニの敷地にある郵便ポストに大きめの封筒を投函すると、ポストの中の何かに引っかかり、鉄でできた箱の天井部分から宙づりになった。下に収めてある袋に向かって封筒が垂れているなら、ポストを開けた郵便局員が気付くだろう。しかし、天井の内側と平行になっているので見逃されるかもしれず、私にはできなかったが指の細い人が投函口から取り出し、いたずら心を起こして持ち去るかもしれなかった。封筒の中身は大切なものだったので、すぐなんとかしたかった。
このコンビニは切手や官製はがきを売っていて、郵便局扱いの小荷物の集荷もしていたから、事態を店員に伝えれば管轄の局と連絡がつくだろうと思った。
レジへ行くとたまたま店長がいた。私は投函した封筒のありさまを説明し、どうにか郵便局に事情を伝えられないだろうかと頼んだ。
「なんの話ですか」
店長はいつものむっとした表情で言った。
もういちど説明しないとならないのかと、今度は事情を口にする前に、郵便局と連絡がつかないか先ず訊いた。
「うちの前にあるけど、うちのポストじゃないから。引っかかったと言われてもねえ」
なんの話ですか、は私の頼みをわかった上での言葉だったのだ。
とっととどっか行けと言わんばかりの口調に、自分がとても愚か者だと気付かされ自己嫌悪を味わった。悪いのは、コンビニと郵便局の間に密な連携があると勝手に思い込んでいた私だ。もうひとつ気付いたのは、店長はああいう顔の人なので怒っているように見えるのではなく、明らかに腹を立てていたことだ。
客商売はやっかいなもので、おかしな客が変な注文をつけてきたり、喧嘩を吹っかけられたりもするだろう。こうなると、何も言わず品物を差し出し、何も言わずお金を置く客以外は、迷惑をかけてくるものと覚悟し接しなければならないのかもしれない。客は甘やかすとつけあがるから、たとえ郵便局への連絡方法を知っていても(店長は間違いなく知っているだろう)、取りつく島もない態度を取るようにしているとも考えられる。この一件で、私には客商売はできないと思い知らされた。
店長だって、赤ん坊のときは満面に笑みを浮かべていただろう。しかし、やさしさを裏切られることで、いつしか怒った顔が素になったに違いない。人は誰しも、怖い顔をして街を歩き、電車に乗っている。これが、大人になるということなのかもしれない。
やさしさを裏切られたという点では、飼い主によって動物愛護センターに持ち込まれた犬、家に戻れない遠いところへ捨てられた犬も同じだ。人にはそれぞれ複雑な事情があり、どうしても解決の糸口を見つけられず、途方にくれ犬を手放す場合がないとは言えない。だが、たいていは犬から受けたやさしさを一方的に裏切って捨てているのが現実だろう。
様々な性格の犬がいるので一概に言えるものではないけれど、殺処分される前に救われた犬たちのほとんどは、新たな人と出会い生活をともにし良き家族の一員となっている。これは、犬が愚かで人間という種族に裏切られたと気付いていないからではない。犬ほど人間の気持ちを注意深く観察し、状況から因果関係を読み取れる動物はそうそういない。殺処分の時が近づいたのを察し、檻の中で絶望している犬を見よ。
犬馬鹿が語る与太と話半分以下に読まれるのを覚悟して書くが、犬は自らのやさしさを裏切られ、それによって死の真ん前へ放り出されたのをわかった上で、再び人へやさしさを向ける。これを懲りない性分と見るのも、哀れな生きかたと解釈するのも自由だし、なぜそうするのか犬自身もわかっていないだろう。ただ言えることは、犬は裏切られてもなお、やさしくあることをやめないという事実だ。
だからといって、犬たちを天使のようだと褒めそやすつもりはない。このような命と暮らしている、ただそれだけを心に留めておいたほうがよいと思うだけだ。
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