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1月, 2013の投稿を表示しています

私の好きな「 」

 ベビーカーに乗せられている小さな子が、どんな犬種を見ても「ワンワン」と口にする。一人、二人でなく、何年にもわたってしばしば見かけてきた光景だ。  この子たちは犬が好きなのだろう。でも大人は犬種をいくらか知っているから、チワワであってもグレートデーンであっても、ともに犬とわかるのだろうが、言葉さえ頼りない子供までが、小型犬から大型犬、毛が短いものから長いもの、耳が立っているものから垂れているものまで、なぜ初対面で同じ犬族と見分けられるのだろう。馬にもいろいろあるけれど、犬ほど様々なかたちはしていない。キリンと言えば首が長いと決まっているが、では犬はと尋ねられたら説明が難しい。  私は物心がついたとき既に犬が好きだった。最初に出会った犬は、両手に収まるくらいの大きさのぬいぐるみだ。こげ茶色で、小さな耳が立っていて、プラスチックでできたつやつやした眼をし、仔犬らしい丸っこい体つきだった。たまらなく好きで、片時も手放さなかった。  四十年以上前のこの国は、いまほど犬が飼われておらず、社宅暮らしが長かったこともあり身近にあまり犬がいなかった。だから犬と出会えたときの喜びはひとしおで、目の前の相手がたとえ吠えようとも恐ろしい動物と感じたことはなかった。大人になって野犬に囲まれた折にはじめて犬を怖いと思ったが、対峙しながら感情を読みあう気持ちの余裕があった。そして、野犬から威嚇されても犬を嫌いにならなかった。もっと犬の心の内を知りたいとさえ思った。  実家ではまず柴犬、次に純白の雑種犬を飼い、特に白犬のダーリンは中型犬を外飼いするのがあたりまえだった時代にひとつ屋根の下で寝食をともにしたので、彼の何もかもが忘れ難い。しばらく犬を飼えない生活が続いて、犬とともにある暮らしを求める渇きが、入居者未定のがらんとした空き部屋としていつも心の片隅にあった。  里親募集サイトでひいを見初めたのは妻で、私はといえば心の空き部屋に新しい犬を入居させるべきか戸惑いがあった。妻がひいのとりこになった様子であればあるほど、私にダーリンの記憶がありありとよみがえり、もう一度、彼と暮らしたいと思ったからだ。ダーリンと同じ犬はいない。  ひいの特徴は、茶色く短い被毛、絶妙なこげ茶に色分けされているぴんと立った耳、張り出した胸から腹へ引き締まって行く曲線の妙、つぶらな瞳、適度な長さのマズル、マズルを引

やさしさはいつも裏切られているから

 行きつけのコンビニの店長は、いつも怒ったような顔をしている。生まれつき険しい容貌の人がいて、私も眉間に皺が寄りがちで誤解されるからきっとそうなんだろうと思っていた。  あるときコンビニの敷地にある郵便ポストに大きめの封筒を投函すると、ポストの中の何かに引っかかり、鉄でできた箱の天井部分から宙づりになった。下に収めてある袋に向かって封筒が垂れているなら、ポストを開けた郵便局員が気付くだろう。しかし、天井の内側と平行になっているので見逃されるかもしれず、私にはできなかったが指の細い人が投函口から取り出し、いたずら心を起こして持ち去るかもしれなかった。封筒の中身は大切なものだったので、すぐなんとかしたかった。  このコンビニは切手や官製はがきを売っていて、郵便局扱いの小荷物の集荷もしていたから、事態を店員に伝えれば管轄の局と連絡がつくだろうと思った。  レジへ行くとたまたま店長がいた。私は投函した封筒のありさまを説明し、どうにか郵便局に事情を伝えられないだろうかと頼んだ。 「なんの話ですか」  店長はいつものむっとした表情で言った。  もういちど説明しないとならないのかと、今度は事情を口にする前に、郵便局と連絡がつかないか先ず訊いた。 「うちの前にあるけど、うちのポストじゃないから。引っかかったと言われてもねえ」  なんの話ですか、は私の頼みをわかった上での言葉だったのだ。  とっととどっか行けと言わんばかりの口調に、自分がとても愚か者だと気付かされ自己嫌悪を味わった。悪いのは、コンビニと郵便局の間に密な連携があると勝手に思い込んでいた私だ。もうひとつ気付いたのは、店長はああいう顔の人なので怒っているように見えるのではなく、明らかに腹を立てていたことだ。  客商売はやっかいなもので、おかしな客が変な注文をつけてきたり、喧嘩を吹っかけられたりもするだろう。こうなると、何も言わず品物を差し出し、何も言わずお金を置く客以外は、迷惑をかけてくるものと覚悟し接しなければならないのかもしれない。客は甘やかすとつけあがるから、たとえ郵便局への連絡方法を知っていても(店長は間違いなく知っているだろう)、取りつく島もない態度を取るようにしているとも考えられる。この一件で、私には客商売はできないと思い知らされた。  店長だって、赤ん坊のときは満面に笑みを浮かべていただろう。しかし、や

どこまで行っても平行線

   若かった日々に戻りたいか。もし小箱に年齢相応の経験を詰めて過去に持って行けるとしても、勘弁してもらいたい。いま知っている失敗や後悔や恥が多少は役立つかもしれないが、また別のやっかいなものごとに悩んだり苦しんだりするにきまっている。  そんなことはない、と思うなら恋について考えてみればよい。  歳の数だけ生きてきたぶんの経験があっても、恋を思うがままに操れるようにはならないはずだ。恋が突拍子もない喩えと思うなら、いくら家族を愛していても、自分の愛が相手に丸ごと伝わり、相手の愛を漏らさず受け取れるものではないのを思い出すと自ずと答えは出るだろう。  だから、離婚を経験した後に妻と出会えたことは稀にみる奇跡だったと私は思う。そしていま、妻とひいと群れをこしらえて生きていられるなんて、一炊の夢だったとしても不思議ではない気がする。  若い日の恋を振り返ると、同棲しているわけでなければ、別々に過ごす時間のほうがはるかに長かったことがわかる。これが苦しみの根っこだった。会えない時間こそ恋愛の醍醐味と笑って言える人がいるとしたら、遠い日のできごとを美しく脚色しているのだろう。恋人と会えない状況は、他人は自分と違う時間を生きているもの、別々の人生を抱えているものといった、ひどく冷酷な現実を突きつけてくる。こんな経験をくり返しても、「自分」と「誰か」はどこまで行っても別者と理屈として憶えたにすぎず、なかなか道理として身に付くものではない。  小箱に収めた年齢相応の経験なんて、この程度のもの。  ひいは私のあとを始終ついてまわるが、それでも四六時中べったりくっついているわけではない。私がどこかに出かければ家を空けることになるし、家にいても彼女だけで過ごさなければならない時間はある。ひいがやっとオトウが帰ってきたと興奮して面倒なくらいはしゃいだり、前触れなくやたら甘えたりするのは、群れの一体感を信じるがゆえに、オトウが所有している時間と自らの時間の区別が割り切れず、葛藤しているからではないだろうか。これは、恋人を自分と半ば一体のものと勘違いし、相手が目の前にいないだけ、手の届かない所にいるだけで心が揺れ動くのと似ている。恋人を家族に置き換えてもよいだろう。人が理屈としてわかっているだけ、なのと同じだ。  人と人、人と犬、犬と犬、どの人生もどこまで行っても平行線で、交わるこ

姫ちゃんが忘れられない

 たしか2010年のできごとと記憶しているが、多摩川河川敷で暮らすホームレスの老人と飼い犬の姫ちゃんの様子がテレビで放送された。  河原の吹きっさらしにビニールシートでつくられた家の撤去が決まり、老人は役所の斡旋と生活保護を受けアパートで暮らす運びとなる。アパートで犬は飼えない。散歩がてら多摩川を訪れる犬や犬の飼い主と老人と姫ちゃんは交流があり、この人たちが姫ちゃんの譲渡先を探すこととなった。  別れの日、老人は姫ちゃんに牛肉を買ってきて、河川敷の家のコンロでステーキを焼く。なかなか食べようとしない姫ちゃんだったが、老人に促されサイコロのように切られたステーキに口をつけた。最後のひとつになったとき、姫ちゃんは老人を見つめる。「これは、おとうさんが食べて」と言っているらしい。数秒だったはずだが、永遠か、時が止まったように見えた。老人は「食べろ」と勧めた。姫ちゃんはもの悲しげに、おずおず残りひと切れを口にした。  何もかもわかった様子で、ステーキを老人に食べてもらいたかった姫ちゃんの姿が忘れられない。  このとき姫ちゃんは十五歳。とても老犬とは思えない毛並みは、七歳からはじまった老人との暮らしがいかに穏やかで厚く守られたものであったかを物語っている。姫ちゃんのその後が気になり調べてみると、無事、譲渡先が見つかっていた。  姫ちゃんから、犬にとっての幸せを考えさせられる。  姫ちゃんに新たな生活の場を与えた飼い主のかたはすばらしい。老犬との暮らしは、いろいろ覚悟しておかなければならないことがある。ゆるぎない決意があって、姫ちゃんを迎えたのだろう。  ここで誤解しないでいただきたいのは、立ち退きの問題や、新たな飼い主のかたにケチを付けようとしているのではないことだ。そのうえで慎重に私の意見を書くが、姫ちゃんにとって幸せの原型は河川敷のブルーシートの家で老人と生きた日々にあるのではないだろうか。  吹きっさらしの家は、年中、厳しい暮らしを強いる。日頃、姫ちゃんが何を食べていたかわからないが、老人の懐具合を思えば栄養管理が行き届く最高峰のドッグフードでないのは確かだろう。ワクチン摂取を受けていたとは考えられない。暖をとるための練炭が不完全燃焼を起こし、異常に気付いた姫ちゃんが老人を救ったこともあったという。死の気配が、いつもすぐそばにあったと言っても過言で

「立つな」か「座りましょう」か

 日々、満員電車に乗るのはつらかったし、理不尽な責めを受け心を病んだりしたけれど、広告の仕事をした経験で種々雑多なものに気付かされた。いまは、こんな日常があったことをありがたいと思わなければならないだろうと、自分に言い聞かせている。  最近は、親切ごかしで不安を煽ったり、暗にほのめかすだけだが根本の部分で何かを断定的に否定し貶す広告が幅を利かしているけれど、このようなものは品性が下劣であり、最終的に広告を目にする者から拒絶される、と会社員一年生のとき教えられた。有能なコピーライターやアートディレクターから教えを聞かされた段階では知識でしかなかったが、この広告の定理は正しいとすぐに身を以て体験した。  子供から大人まで相手にする巡回展の担当になり、専門外の図面引きから会場の裏方にいたるほとんどすべての業務についた。大声で笑ったり驚いたりするイベントが仕掛けられたアート展だったが、大人と違い子供は興奮すると何をしでかすかわからなかった。座るべき場所で立ち上がって暴れると、他の客が迷惑するばかりか危険な事態になる。「みんな立たないで。危ないよ」と声を張り上げても子供は耳を貸そうとしなかった。だが、「みんな座ろうね。困ってる人がいるよ」と言い換えると、まったく結果が違った。言うことを聞かなかった子供が座ったのだ。  心理学はこの辺りの現象を理路整然と説明するかもしれないが、私は科学的にどのような違いがあるのかわからない。ただし、否定ではじまる言葉がなし得なかったものを、か弱いと思われがちな言葉が効果をあげたのは事実だ。  これは、ひいと接していても同じなのだった。  犬は人間の言葉がわからないと思われやすいが、長年、人と暮らして話しかけられていると、正確な意味までは理解できなかったとしても何を伝えようとしているかかなりのみ込めるようになる。また、人の言葉を理解しようと懸命に耳を傾ける。  たとえば、ひいと一緒に布団に入り安らぎたいと私が願っていたとする。ひいとしては、布団の上に乗っていても、中に入ってもどちらでもよい気分である。だから、布団をかぶり「こっちにおいで」と言っても迷っている。私は「ひいと寝たいんだ。ゆっくりしたいんだ。温かくなりたいんだ」と囁き、ひいが体をちょっと動かしたところで「ありがとう。ありがとう。オトウの気持ちがわかってくれたんだ」と言う。オトウが

ボツにしたカット

 ひいを迎える日の直前に買ったカメラの具合が怪しくなりかけていて、これはメーカーが悪いのではなく、あきらかにシャッターを押した回数が関係している。銀塩写真の時代は、カメラバッグの中に未撮影のフィルムがあと何本だろうか常に考え、頭のけっこう真ん中に「¥マーク」が漂い続けていた。これがデジタルになると、たがが外れる。  こうして、膨大な量となったひいの写真がハードディスクに溜まって行く。もちろん、ブログに載せない、プリントもしない写真が山のようにあって、ここにピントや構図は申し分ないものがけっこうな枚数になっている。なぜ仕舞い込まれたままの写真が多いかというと、ひいが人間の女の子だったらこの表情は残したくないだろうと思うものを、タレントのマネジャーがやっているようにボツにしているからだ。たとえば、この日記の冒頭のような面持ちのカットはボツにしてきた。 「ひいのだらしないときが、かわいいのに」  と妻は言う。  私もそう思う。そして、だらしなかったり、中途半端な表情のカットも撮影はしている。  きっと、冒頭に掲げた写真をどうしてボツにしたか理解しかねる人もいるだろう。私は写真を選びながら、この瞬間は私の中のひいではないと判断したのだ。だから、「ひいが人間の女の子だったら」という理由はエゴに対する言い訳かもしれない。しかし、人間のポートレートを大量に撮っていたときも、私の中のその人を現そうとしてきた。ここが私の撮影者としての限界なのだ。  コンプレックスは数限りなくあるが、絵を描けないことは私にとってかなり大きな心の棘(とげ)となっている。小学生のとき画用紙いっぱいにどーんと写生して先生に褒められたことはあったが、いつまでたっても兄のようにマンガの主人公をそっくりに模写できなかった。そして、自分が描く線が美しくないのを知っていた。線の美しさは、天性のものだ。でも、平たい紙の上にどうしても描きたい。写真なら、自分の思いを形にできるだろうとカメラを手にとった。  もし可能なら、抽象ではなく具象画、油ではなく日本画の線でひいの姿を描きたい。画風や世界観の好き嫌いといった感情を越えたところで、池永康晟氏(http://ikenaga-yasunari.com/)のような線でひいを描きたい。一枚を完成させるために、一年、二年と費やしてもよいと思う。  それとは別に、感じてやまな

Bちゃん・ひいちゃん

 亭主が好きな赤烏帽子(あかえぼし)は死語かもしれないが、こういった言い回しが消えるのは実に惜しい気がする。頭にかぶる烏帽子は黒いものと決まっている。でも亭主が赤が好きと言えば、いかに変ちくりんなものでも家族は赤い烏帽子をかぶらなければならない。一家の主の言うことに家族は従わなければならない、といったところだ。これとは別に正確な意味から派生して、亭主が好きなものならそれを受け入れて丸く納めるという言葉としても使われる。  さらに、「亭主が好きな赤烏帽子よ。旦那がこれが好きだって言うから、しかたないなあと思って着てますの」と言えば、惚気(のろけ)になる。これを辞書の説明通りに、亭主の独裁、同調圧力と言い換えてしまうと、味わいがなくなりギスギスするばかりだ。やだやだ。  今年は冬の寒さが厳しいのもあるが、私たち夫婦がたった一年でずいぶん老け込んだのも関係しているらしく、去年と同じ厚さの部屋着ではなんとも心もとない。妻は買いそろえる間がなかったことで着るものに困り、古い服をひっぱり出してくるはめになった。それはニューヨークの寒さに弱りはて飛び込んだベネトンで買ったセーターだが、時代が時代だったというか、そもそもベネトンがそういうブランドなのか、胸に太く大きく「B」と書かれている。昔のマンガで中学生くらいの男の子が着ているセーターそのものといった感じだ。なお、「B」はベネトンの頭文字である。  妻はダサイけどしかたないと言ったが、私は気に入った。  ユーモラスで男の子っぽいところが、よく似合う。これ以上の選択はないと感じ、控えに似たものをもう一着手に入れるべきではないかと勧めもした。ここまで言うならということなのだろう、妻はこのセーターをよく着るようになった。Bちゃんの誕生である。  寒さが堪えるのは私たちだけではない。ダブルコートとはいえ、ひいも寒そうだ。動物愛護センターから保護されAさんに育てられていたとき着ていた青と白の縞のラガーシャツを越える、ひいに似合う服はないと感じていた私は、同じようなシャツに出会えないなら服を着せないほうがよいとしてきた。ひいはガーリーなものは似合わないにきまっている。しかし、背に腹は代えられないとサイズが合いそうな犬用の着る毛布を買った。服ではない、着る毛布なのだと自分を納得させたのだ。  ひいが着る毛布を喜んでいるか微妙なところだ。

なぜ、そんな顔する

 ひいの様子がおかしいと気付いたのは妻だった。  私と妻が夕食を終え食卓を離れてソファーに座ると、ひいは二人の隙間に入った。ここまではいつものことだ。ただ、オヤツをちょうだいと訴えなかった。人間が食事を済ますと、おねだりをするのが習慣なのだが。 「さっきから、しょんぼりしてる」と妻に言われ、頭を撫でてやったがたしかに反応がひどくにぶい。何も感じない、といった様子だ。眼はうつろ、だらんと力が抜けた体。かといって、鼻は濡れているし体温も平熱のようなので体調が悪いわけではないようだ。  この表情、この脱力した体、寂しくて心の底が抜け落ちた人のようだ。  だが、気持ちが落ち込むような特別なことはなかったはずだ。  いや、本当にいつもと同じ一日だったろうか。  すこし気になっていたことがある。ひいにとってではなく、私のこととしてだ。  年末から年始にかけて、私は昼過ぎにベッドに横たわる日が続いた。五分、十分とぼんやりすることもあれば、ぐっすり眠るときもあった。私がベッドに横たわると、いつもそこにひいがいた。ひいは掛け布団の隅で丸くなっている日もあれば、布団にもぐり込んできて私の両脚の間に横たわることもあった。この日はなにかと用事があり、ベッドに寝転びたいと思いつつも叶わなかった。  どう考えても、昨日と今日の違いは私が寝室で時を過ごしたか否かくらいのものだ。  ひいにとってどうでもよいこと、と思っていたが違ったのかもしれない。  私とベッドで横たわる時間を、ひいは毎日、楽しみにしていたとする。一人で寝転んでいるのでは得られない心地よさを感じていたのかもしれない。今日も、オトウが来てくれるものだと信じていた。しかし、来なかった。待ち続けた。そのうち、自分はオトウに嫌われたのかと不安になった。この通りだとしたらつらい時間を過ごしたことになる。  二十代の私が、恋人を待って、恋人が現れなかったときの気持ちがよみがえる。はっきり嫌いだと言われるよりやりきれない、絶望を抱えたままの孤独な時間。寒さでかじかんだ指が触れるものの形をわからなくなるように、眼はものを見られなくなり、心は動きを止める。あの感覚を、ひいは味わったのか。  私はひいを呼んで寝室に向かった。  掛け布団を整えている私を、ひいは微動だにせず見つめていた。ベッドに横たわるとき、私はいつも布団の乱れを直す。ひいは察し

仕事は見て憶える派

 ひいは私の後をついて回る。そして何をしているかというと、ソファーで寝転んでいたり、ちょっとこちらを覗き見するだけ。一緒に暮らしてもうすぐ五年ともなれば、私もひいを意識しない。時折、退屈していないかと顔を見て、撫でてやるくらいのものだ。  私が家ですることなどたかが知れていて、箇条書きにしても五行以内に収まるのではないか。だから、自室を出る、居間へ行く、台所に入る、などといった私の行いの次に何がはじまるか、ひいはわかっている。わかっているだけで、これといって手助けしてくれるはずもないし期待もしない。昨日まで、そう割り切っていた。「猫の手も借りたい」ならぬ「犬の手も借りたい」ときでも。  昼食をつくろうと出汁を取りうどんを土鍋で煮た。鍋焼きうどんづくりは、なんとなく私の担当になっているのだ。ひいは台所と間続きの居間のソファーにいて、私はガス台の前に立って土鍋にうどんを入れ蓋をした。あとは煮えるのを待つだけ。ひいを撫でていれば、その間にできあがりのはずだった。  ソファーでくつろいでいると、ひいがすくっと立ち上がり、やけに真剣な目で台所を見つめた。何ごとかと思ったが、煮上がりの時間をセットしたタイマーは鳴っていないし、のんびりしていればよいだろうと高をくくった。「ワン」とひいが吠えた。 「大きな声を出すんじゃない」  と言った直後、出汁が吹きこぼれる音がした。  慌てて台所へ行くと、沸き立った出汁が土鍋から溢れコンロの火口の周りでじゅうじゅう音を立てている。おっとっと。急いで火を消した。  ひいは、煮立った出汁が土鍋から溢れるのはまずいと知っていたのだ。いや、それだけではない。溢れる前の兆候を知っていて、「気をつけろ」と吠えたようだ。もしかしたら、鍋焼きうどんをつくる手順まで憶えているのかもしれない。  ごろごろしているだけのようで、いつの間にか台所の一大事をわかるまでになっていた。そして、異常があれば鈍感な人間に教える役割を担っていたのだ。そう言えば、数日前に塩鮭を焼いていたら鍋焼きうどんのときのように台所に向かって「ワン」と吠えた。グリルの中を見てみると、絶妙な焼き加減だった。あれも「焼けてますよ」の合図だったのだろう。鍋焼きうどんの件といい、塩鮭の件といい、「犬の手を借り」たことになる。 「火事になったのを教える犬がいるけど、ひいもやりそう」  と妻は言った

この犬、噛む?

「こんにちは。触ってもいいですか?」  以前、ひいを散歩させていると小学生の女の子に声をかけられた。 「ごめんね。この仔、臆病だから」  女の子には悪かったが、パニックを起こしひいが噛んだりしたら双方にとってよいことはないので断った。不測の事態を思い描いたのは、ひいへの興味が高揚しすぎで、悪意はないのだろうが人間本意な具合が見て取れ、この子は犬に慣れていないと直感したからだ。生きているぬいぐるみ、を期待されていたといったところか。  我が家の隣人である犬を飼っている旦那さんなら、おもむろにひいに近づいても止めはしない。犬との間合いのとりかた、表情の伺いかたをわかっているからだ。「いやだ。こないで」とひいが反応した瞬間に、旦那さんは近づくのをやめるだろう。ましてや、いきなり頭を撫でたりするはずがない。ここに犬との付き合いかたを知っている人と、そうではない人の違いがある。  私が高校生のとき実家のベランダを修理したのだが、家族が眼を離した隙に飼い犬のダーリンがペンキ屋のおじさんを噛んで流血騒動となった。歯が作業ズボンを貫いたほどだから、ダーリンの怒りは頂点に達していたと思われる。おじさんはいきなり噛まれたと憤っていたし、噛むほうが悪いのは事実なので丁重に謝罪し治療代を包んだが、身贔屓するわけではないけれどおじさんがダーリンに何か余計なちょっかいを出したのが騒動の発端ではなかったか。おじさんは仕事にきたときから、酒くさかった。  いっぽう、どちらも悪くない場合もある。  姪が我が家にやってきたとき、ひいを見て「噛む」と怖がった。聞いてみると、よそのお宅で犬に噛まれたと言う。犬が本気で噛んだらペンキ屋のおじさん事件のような流血の大騒動になっていたはずだから、すこしも痛くない甘噛みだったのだろう。そうであっても犬を飼ったことがない者は恐怖が心に影を落とし、犬嫌いになる。犬を怖がる人を犬は嫌うので、ますます危なっかしい事態になる。この悪循環は容易に断ち切れない。  石垣島の草原で犬の群れと対峙した話をこの日記に「犬は考える」(2012年9月23日)と題して書いたが、彼ら彼女らの群れがそうであったように犬はぎりぎりまで実力行使を避ける術を模索する。どこまでがぎりぎりなのか犬によって違いはあるが、相手に立ち去るくらいの猶予は与え、やたらに噛み付いてくるものでは

群れの中の肯定と否定と拒絶(年のはじめに)

 オオカミの中で懐っこい者が原始の人に近づき仲間に入ろうとしたのが犬へ連なる歴史の第一歩だが、別の生き物の中に難なく溶け込んだことを懐っこさだけで説明できない。しかも、一万数千年とも三万年とも言われる間、人と切っても切れない関係が続いている。懐っこさはきっかけに過ぎず、双方、群れで生きる似た者同士だったからうまくいったとするほうが合点が行く。  ひいと私たち夫婦の出会いは、太古のオオカミが経験した人との出会いとあまり違いないかもしれない。我が家は、オトウとオカアの小さな群れだった。ふとしたきっかけでひいを知ることとなり、ひいは私たちを好いてくれ、私たちはひいを迎え入れ、二人と一匹の群れとなった。この三者に、血のつながりはない。親子が共に暮らす動物や、一か所に集まって眠る動物はあまたあるが、事情を共有して血の縁や種の違いをものともせず共に生きる動物は稀だろう。  ひいと私たち夫婦にはもうひとつ共通の群れがある。Aさんによって保護され巣立って行った犬と、その飼い主の皆さんが集まる群れだ。これをひいは我が家より大きな単位の群れとわかっているらしい。卒犬の同窓会で出会う犬や人と動物病院などでの行きずりの犬や人は明らかに別ものらしく、初対面であっても後者には向けない友好的で気安い態度をとる。同窓会が催されるドッグランでは他の犬とともに斥候役につき、群れの警備に当たりもする。  人の群れと犬の群れの共通点がここに見いだされる。  血のつながりと同等か、それ以上の意味と事情があって群れができる。  群れとは、異なる者を「ここに居てよい」と「肯定」する集団で、互いが抱える違いを認め合った集まりと言えそうだ。犬を飼うのは珍しいことではないように思われているけれど、犬にしてみれば二本足で歩き鼻も耳も劣っている人間、人間にしてみれば手指が使えず言葉が喋れない犬、が同居できるのは相手の違いを認めているからに他ならない。犬と人の違いをあげればきりはないが、認め合うこと一点を扇の要として群れはまとまっている。  この群れが群れであるためにルールが必要だ。群れの平穏を乱す行いがあれば、その行いは「否定」される。ひいは卒犬の同窓会ではしゃぎ過ぎ、年齢的にお姉さん格で子育て経験があるみのりちゃんに叱られたことがあった。首根っこをガブッと、でも傷つかないように噛まれたのだ。ひいは静かになり、みの