犬は人間の言葉がわかるのか。犬と暮らしていれば誰しもが思うことに科学があっさり答えを出し、単語は理解するけれど文法はわからないと結論づけている。でも私には、犬が単語と単語の結びつきを理解しようとしているように感じられてならない。 「ひいは、いい仔だ」の意味を、ひいは自分への評価と理解している。「ひいは、いい仔だから好きだ」には、さらに評価が高まったとうっとり反応する。単純な言葉であっても、ここには文法がある。「ひい」、「いい仔」、「好き」と単語だけつまみ食して聞き取っている可能性が否定できないのはたしかだが、もっと長い言葉にも耳をピンと立てて集中し、幼犬だった頃より理解力が増したことを語彙が増えたせいだけとは言えないような気がするのだ。 もしかしたらひいは、私と妻の会話を聞き取って何を喋っているか大まかに理解しているのかもしれない。というのも、ひいは群れの動向にかなり敏感で見るもの聞くもの触れるものの変化を見逃すまいとしていて、これなら私たちの会話に注意を払い文法らしきものを憶えてもまったく不思議ではない。 このように思うので、日々、私はひいにあれこれ話しかけている。「お座り」、「待て」、「よし」などのコマンドだけでなく、何をどう感じているか、これから何をするかなど、子供に話しかけるようにわかりやすい言葉を選び、具体的に、ゆっくり喋る。日本語の基本的な語順を守る。ひいが知っている単語を主に使い、新しい単語を徐々に加える。 すると、発見があった。ひいは大きな声や命令形より、穏やかなささやきや丁寧な語りかけに反応するのだ。 小便をしたいと訴えてくるので玄関のドアを開けてやったのに、いつまでもうろうろしているだけだったとする。以前は厳しい口調で「ちっち」とコマンドをくり返していたが、これを「ちっちをしなさい。そこがいやだったら庭へ行こう。好きな場所を決めなさい」などと囁くと小便をするまでの時間があきらかに短くなった。 これは科学ではないから、犬が人間の言葉を文法に則って理解している証拠とするつもりはない。ただ、犬は世間から思われているほど愚かではなく、限られた世界の中で暮らしているとはいえ様々なことを把握していて、そこには人間の言葉から得られたものもあると考えざるを得ない。 人間と犬の会話は成立する。もし口と喉の自由が効くなら、ひいには言いたいことが山
この読み物は「ひい」こと「ひかり」の我が家での生活について書いたものです。ひいは乳飲み子のとき千葉の動物愛護センターから救われた犬で、2008年の4月(生後6カ月時)に当家の住人になりました。