ひいはオカアに叱られた。 風呂場でオトウに洗われ、脱衣所で体を拭かれるや居間へ飛び出し、居間と廊下をぐるぐる際限なく駆け回ったせいだ。引き続いてシャワーを浴びていた私は目にできなかったが、たぶんちびくろサンボで木の周りを走り続け溶けてバターになった虎みたいだったのだろう。 そのあとまだ湿り気が残る体をずっと私にしなだれかけて離れなかったのは、叱られてバツが悪くオトウに救いを求めていたに違いない。こんなとき身の置き所がなく感じられるのは人間だっていっしょだ。叱られたことより、身の置き所がないほうがこたえる。 騒動が一段落して、ひいは寝室のベッドの上で寝ていた。 寝室は家のいちばん奥にあり、二つある窓の一方は雨戸のシャッターを閉めきり、もう一方は厚いカーテンがかけられている。天井まである本棚の向こうには私がいる。薄暗さと静かさとオトウの気配とで、ひいがもっとも落ち着ける場所だ。 拗ねているのかと思い、そっと近づいて行った私に気付いて上げた顔は素直なものだった。ああ、これでよし。 叱られたことをさっさと忘れたというよりも、群れの巣の中にいられる安心感や巣の居心地のよさが、ひいの心をいつも通りのものにした。オトウとオカアとひいの三角形が整い、身の置き所は揺るぎない。 お嬢様暮らしで苦労知らずのひいだが、オトウとオカアとひいのためだけの巣があるありがたさは知っている。 遠くで夏休みの小学生のはしゃぎ声がしている。でも、誰もひいの邪魔をしないし、オトウとオカアに悪さをするやつもこないだろう。私もこの群れと群れの巣があることを幸せに思う。
この読み物は「ひい」こと「ひかり」の我が家での生活について書いたものです。ひいは乳飲み子のとき千葉の動物愛護センターから救われた犬で、2008年の4月(生後6カ月時)に当家の住人になりました。