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7月, 2012の投稿を表示しています

巣の中

   ひいはオカアに叱られた。  風呂場でオトウに洗われ、脱衣所で体を拭かれるや居間へ飛び出し、居間と廊下をぐるぐる際限なく駆け回ったせいだ。引き続いてシャワーを浴びていた私は目にできなかったが、たぶんちびくろサンボで木の周りを走り続け溶けてバターになった虎みたいだったのだろう。  そのあとまだ湿り気が残る体をずっと私にしなだれかけて離れなかったのは、叱られてバツが悪くオトウに救いを求めていたに違いない。こんなとき身の置き所がなく感じられるのは人間だっていっしょだ。叱られたことより、身の置き所がないほうがこたえる。  騒動が一段落して、ひいは寝室のベッドの上で寝ていた。  寝室は家のいちばん奥にあり、二つある窓の一方は雨戸のシャッターを閉めきり、もう一方は厚いカーテンがかけられている。天井まである本棚の向こうには私がいる。薄暗さと静かさとオトウの気配とで、ひいがもっとも落ち着ける場所だ。  拗ねているのかと思い、そっと近づいて行った私に気付いて上げた顔は素直なものだった。ああ、これでよし。  叱られたことをさっさと忘れたというよりも、群れの巣の中にいられる安心感や巣の居心地のよさが、ひいの心をいつも通りのものにした。オトウとオカアとひいの三角形が整い、身の置き所は揺るぎない。  お嬢様暮らしで苦労知らずのひいだが、オトウとオカアとひいのためだけの巣があるありがたさは知っている。  遠くで夏休みの小学生のはしゃぎ声がしている。でも、誰もひいの邪魔をしないし、オトウとオカアに悪さをするやつもこないだろう。私もこの群れと群れの巣があることを幸せに思う。

男の子じゃないんです

 妻がひいの似顔絵を描くと、どれも男の子に見える。  以前、ドッグランで「シェパードの仔ですか?」と声をかけられて、「いやいや雑種で、もう成犬なんです」と答えたときも、話の流れからどうも男の子と思われているみたいだった。だから訊かれてもいないのに、「女の子なんですよ」と付け加えた。  口が黒いことが、ひいを男の子に見せているようだ。  それでなくても世の中では、犬は男の子、猫は女の子に喩えられる。  しかし、ひいはれっきとした女の子として犬界の端っこではもてもてだ。  お隣の家の通称パックンチョ兄弟は散歩道でひいと出くわすと、二匹揃って立ち止まりフセをして動かなくなる。なぜフセなのか。どうして、犬語で「遊ぼうよ」の意味のプレイバウではないのか。  フセは優位のものに出会ったときの体勢らしいが、やや年上とはいえびびり屋のひいがパックンチョ兄弟より優位というのは変だ。  フセの理由をパックンチョ兄弟と同じ男族として考えてみたのだが、前足をかがめてお尻を持ち上げるプレイバウでは勢いがありすぎるので、ひいを脅かさないようにしているとしか思えない。つまりレディーに気に入られるためひかえめに、しかしここから動かないと猛烈にアピールしているのだろう。そこまでされても、ひいは怖がっているだけなのだが。  犬からだけでなく、私から見てもひいはやはり女の子だなと感じる。  私と妻、つまり群れの男と女への態度に違いがあって、妻には何歳になっても子供か妹のように甘え、私には第二夫人として甘え頼っているらしきところがある。  体を密着させてくるとき私にはしなだれかかるようであり、見つめてくる瞳にもやけに感情がこもっている。以前の雄の飼い犬たちは、群れのボスであった父にこのような様子ではなかった。  これは、ひいに対してこうあってほしいと願う私の気持ちが見せる幻だろうか。ひらたく言えば「あの子は俺に気がある」というアホな男の思い込みかと自問自答してみたが、若いときこうして散々痛い目にあってきた反省はあるし、ひいの私への態度は妻も認めるところだ。  こんなことを書いていると、人間の女の子に相手にされなくなった中年男の悲哀ばかりが漂うので、このあたりでやめておく。  でもやっぱり、ひいは男の子じゃないんです。

犬の熱中症についての覚え書き(ひい熱中症になる2)

先日はひいが熱中症になったことで、ご心配をおかけしました。いまは元気に餌を食べ、本日の散歩は無事終了しました。この機会に、あらためて犬の熱中症についてまとめておきたいと思います。 ○ 突然、症状が現れる 蒸し暑さの中での散歩だったが、家に戻って部屋に入るまではいつも通りの状態だった。症状が現れるまで、これといった予兆はなかった。 ○ 症状 観察例がほかにないので、すべての犬の熱中症に共通するかわからないが下記のような状態になった。 1. 腰が抜けたようになった。 2. 前脚も力がこもらなくなった。 3. 全身から力が抜け、ぐったりした。立っていられない。    〈ここまでの状態を見て、     犬が食べてはならない食品を口にしたのか疑った〉 4. 白目の部分が充血した。 5. 舌を出し、呼吸が荒くなった。 6. よだれの量が増え、止まらなくなった。 7. 体温がいつもより高く感じられた。 ○ 応急処置 1. もっとも手っ取り早いのは水をかけて体温を下げる方法らしい。(ひいが風呂嫌いのため水をかけられなかったが、容態によっては必要な処置だったかもしれない) 2. 保冷剤を薄手のタオルなどにくるみ、太い動脈が通っている首筋と太ももの内側を冷やす。(我が家では保冷剤を用いたが、ビニール袋に氷を入れた氷嚢でもよいのでは) 3. 首筋と太ももを冷やし続けたが、苦しそうだったため頭なども冷やした。 4. 空調が可能な場所なら、エアコンを効かせる。 5. 水を飲める容態もしくは容態が落ち着いてきたら新鮮な水を与える。スポーツドリンクと水を1:1で割ったものを勧める情報もある。(手元にスポーツドリンクがあったため、希釈したものを与えた) 6. 容態がよくない場合は、体を冷やしながら動物病院へ。 ※我が家の例では、回復後に大量の小便をしたがいつもより尿の色が薄かった。これは大量の水分(スポーツドリンクと水を1:1で割ったもの)を摂取したためか、腎臓の働きが一時的に弱ったためか不明。 なおいつもより色の薄い尿が続く場合は、腎臓が弱って正常な尿がつくれない状態を危惧したほうがよいかもしれない。 ○ 所感 1. 健康な犬でも、熱中症になり得る。 2. 短時間、蒸し暑い状態に置かれるだけで熱中症になり得る。 3. 屋外では、人間より体高が低い犬は地面や路面の輻射熱を受けやすい。 4. 上記し

ひい熱中症になる

 朝から暑いので、散歩は短縮コース通称「緑道」にした。「リョクドウ」という言葉をひいは知っていて、コマンドのひとつにもなっている。たしかに「リョクドウ」を選ぶと散歩の距離は短く、目的地の緑道は大きな木陰が長く続き、どんなに暑い日も涼しい風が流れているのだが、そこまでの道のりと帰り道は陽を遮るものがない。  散歩から戻ったひいは、突然、腰が抜け前脚にも力がこもらなくなりふらふらしはじめた。四本の脚は壊れた椅子のようにそれぞれ妙なかたちになり、ソファーの背もたれのクッションで体を支えるのがやっと。しかも呼吸は荒く、よだれが止まらない。目も充血している。  とっさに何が起こったか訳がわからず、不安で頭の中が真っ白になった。  体に触れると、あきらかに体温が高い。熱中症だ。  部屋にエアコンを効かせ、冷凍庫から出した保冷剤で動脈が集まる首筋と太ももの内側を重点的に冷やす。  かなり危険な状態に見えたので、妻はインターネットで犬の熱中症対策を検索して調べた。水を掛けて体を冷やすのが体温を正常に戻す手っ取り早い方法らしいが、風呂嫌いのひいが体の自由が利かないまま興奮しかねないので、保冷剤で冷やし続けることにした。  ソファーに腰掛けた妻の太ももの上に身を任せだらりとしたひい。舌を出し、荒い呼吸が止まらず、傍らにいる私の脚に大粒のよだれが滴る。あごを妻のひざに乗せまぶたを閉じているのが、苦しさのためか心地よさのためかはっきりしない。  この状態が三、四十分続いた。  犬の熱中症対策法によれば、スポーツドリンクを水で二倍に薄めたものを与えるのがよいらしい。私は保冷剤でひいの体を冷やす手を休め、スポーツドリンクが入っている冷蔵庫を開けた。このときまでぐったりしていたひいが、顔を上げ上半身を起こしこっちを見た。  これはいつもの、「あの大きな箱から何か出てくる」と期待する動作だ。  ああよかった。ここまで回復したのだ。  そして、ひいはソファーに寝たまま水で割ったスポーツドリンクをぺちゃぺちゃなめた。  ひいは今、エアコンを点けた寝室のベッドの上で寝ている。  コーヒーカップ一杯ぶんの水割りのスポーツドリンクを飲み干し、ヨーグルトを食べ、さっそく飲んだぶんだけ小便をし、階段を駆け下りられるまでになった。  ひとまず安心だが、本日は安静にさせなければならないだろう。

専属モデル

   ひいは知らないことだけれど、オトウは昔、写真を撮ってわずかばかりお金をもらっていた。それでゆくゆくは、小さなスタジオがある事務所を構えて、アシスタントを雇えればいいなと考えていた。だから売り込みのために、あちこちの雑誌社を訪ね歩いたりもした。世界的な写真家ばかりが仕事をしている雑誌の編集部に乗り込んで行ったなんて、思い出すだけでどっと冷や汗が出る。  その頃、知り合った年上のやはり写真を撮っていた人は、オトウと違って人を撮ることを仕事にするのではなく、モノを撮る専門家になろうとしていた。いまこの人はどうしているだろうと、ときどき思う。やはりモノを撮り続けているのだろうか。  なんだかいろいろあって、オトウは機材を売り払い写真をほとんど撮らなくなって、いまのオトウになって行ったのだが、あのとき小さなスタジオがある事務所を構えていたらどうなっていたか想像もつかない。いずれにしろ、毎日無数にシャッターを切っていた日から二十余年過ぎた。  またいっぱい写真を撮ろうと思うようになったのは、ひいがやってくると決まったときだ。これは、どんな人でも子供が産まれるとカメラを買おうと思うのと同じ気持ちだったろう。それでいくらなんでもフィルムの時代ではないからとデジタルにしたのだけれど、分相応はこれくらいとカメラはほどほどのものにした。  こうして、ひいはオトウの専属モデルになった。 「ひいは美人さんだ」と褒めると、オカアはひいに「そんなことどうでもいいよね。普通よね」と言う。  たしかに、普通だろうな。  でも、モノを撮る専門家になろうとしていた人は言っていた。同じオーブントースターを撮っても愛があるかないかで別物になる、と。  念力の話ではない。どの方向から光を当てて陰影をつくるか案配し、わずかな光の角度にもわずかな光量の調整にも心を砕く。ひとことで光と言うけれど、柔らかな光から鋭い光まで無限に幅がある。こんなことは愛がなかったらやっていられないし、オーブントースターのいちばん美しい姿を見つけられるのも愛あればこそ。  ひいに美人さんが潜んでいる。隠れていた美人さんが現れたのを見逃さずシャッターを切るのが私は好きだ。かたちあるものとして定着させることに心が躍る。そういうことなのだ。  今日もひいの中に美人さんがいた。どこかへ行ってしまう前にシャッターを切った。このとき

あのねとどっすーん

   テーブルの下にもぐりこんだひいが顔だけ出して私を見ている。妻は台所で料理を鍋から皿へ移そうとしている。妻の様子を見張っていたわけでも、料理の手順を知っているわけでもないのに、ひいはそろそろ私たちの食事がはじまるとわかっているのだ。そして、食事が終わるのをテーブルの下で寝そべって待つことになる。 「あのね、あのね、もうすぐご飯なの。ご飯の間、ここで待ってるの」  私と妻は、ひいが見せる態度に勝手な吹き替えをつけて遊ぶ。 「あのね、あのね」はひい語訳の定番みたいなもので、何か伝えたげな彼女の顔を見ていて自然と浮かんできたものだ。不器用な真剣さというか、気持ちが先走って言いたいことが出てこないというか、まあそんな感じ。アクセントは〈あ↑の↓ね↓〉である。 「あのね、あのね、なんだかうれしいの気持ち、オトウもわかって」 「あのね、あのね、カリカリした歯磨きの棒ほしいの」 「あのね、あのね、もう寝たいの、オトウもくるの」  といった具合。  勝手な吹き替えではあるけれど、このあとの私たちへの反応を見る限りまんざら誤訳ではないようだ。  夜、寝床に仰向けに横たわると、ひいは冬なら私の両足の間に、暑い季節は私の横にぴったりくっつく。このままでは寝付けないので横向きになり足を緩やかに曲げると、ひいは起き上がって暗闇で何やら動き、どっすーんと勢いよく倒れ込んで私の太ももと尻に背中を強く押し当てる。  私は寝相がよくないからいろいろなかたちになって寝ているけれど、くの字になればくの字のくぼみに、への字になればへの字のくぼみに、そのたびにひいはどっすーんと倒れ込んで密着する。これが朝まで続く。  くっついて一緒に寝たい気持ちもさることながら、どっすーんの遠慮のなさに私を無条件に信じてくれているのだと感じる。そして、「あのね」の表情も同じものだろう。  小さな子供だったとき、大人はみんな信頼できて、どんなことも最後はうまくいくものだと信じていた。たとえ、叱られても、何かが私を泣かせたとしても信じられたのだ。  ひいは、あの日の私なのかもしれない。

Aさんチームどうしてるかな

 ひいがいない、と思ったら妻が仕事部屋にしている和室にいた。ぐたっと長くなって寝ている姿を見るまでもなく、私も暑くてへばっているわけだから涼しい場所を探し出したことがわかる。ひときわ暑い日の暑い時刻、なぜか寝室と私の部屋は蒸し風呂のようで、妻の部屋だけ風通しがよいのだ。  私と妻が穫れたて茹でたてのとうもろこしを台所でつまみ食いしているときも、いつものひいなら気配を感じ取ってやってくるところだが、畳の心地よさに勝るものはないのか姿を見せない。 「あのですね、ふーっと音がして、冷たい風が出てきて、湿気がなくなるのは使わないのですか」  ひいはエアコンを心待ちにしているのかもしれない。  私は床屋に行って3mmのバリカンでガリガリ髪を刈り上げ坊主頭になったからよいものの、ひいは体中に毛が生えている。しかも汗がかけないから、舌で体温調節をするほかない。大きめの立った耳は放熱の助けになっているのだろうが、それで追いつくものではなさそうだ。  最近のエアコンは大型テレビより消費電力がすくないという話を聞くからスイッチを入れることをさほど恐れなくてよいのだが、まだあとちょっと辛抱という気がしないでもない。まだ七月、いやもう七月ではあるのだが。  南向きの居間は、まさに温室となって30度を超えている。これでは扇風機は温風器でしかない。我が家が温室ということは、犬だけの留守番が長いお宅はもう限界にきているのではないだろうか。 「Aさんチームのみんな元気かな」  と妻が言った。  Aさんはひいたちを動物愛護センターから救い出してくれた方で、チームとはAさん宅から巣立っていった犬たちだ。リュウ君、マロン君、ふうかちゃんはひいの兄弟姉妹、まげちゃん、ラピスちゃん、みのりちゃん、ジブラ君、もっともっといる犬たちを妻は一頭ずつ名前を挙げていった。そこには特別会員であるAさんの飼い犬、チコリちゃん、珀君がいて、預かり犬となっているバニーちゃん、ちびちゃんもいる。  みんな何ごともなく夏を乗り切ってほしい。  なぜって。ひいに兄弟姉妹がいて、縁のある犬がいることが、たとえ毎日会う顔ぶれでないとしてもとても愉快だ。そしてひいが我が家にこなければ、一生、知り合うこともなかった人々を身近に思えることがうれしい。いつまでも続いてもらいたいものだ。  チームの犬はみんなそれぞれで、飼い主のかたがたも

気がつけば七夕

 やけに湿度が高く、妻は頭が痛いとつらそうにしている。私は食欲が落ち、朝食のパン一枚でさえ食べるのに一苦労だった。空模様は、いまより悪くなることはあっても、よくなることはないと断言できそうだ。  と、言っているそばから雨が降ってきた。  こんな日はおとなしく暮らすほかない。  ひいはと言えば、あまり関係ない様子で、ベッドで寝ていたかと思うと何かが気になるらしく居間を探検している。  ぐだぐだしていても仕方ないので、我が家の重要物件のひとつである糠床をかき回す。  かき回した糠床に、みるからに健康そうなぶっくり太った茄子を漬ける。  近所には農家の人がやっているコインロッカー式の直売所と、畑のそばのプレバブ小屋の直売所があって、旬の新鮮な野菜がふんだんに手に入る。いろいろややこしい世の中ではあるけれど、直売所で旨い野菜が安く買えることを幸せと思わなくてバチが当たるだろう。  糠漬けができあがる頃合いを忘れないように、台所のホワイトボードに漬けた日時を書き込むことにしている。  壁のカレンダーに視線を向けると、今日は七月七日。  忘れていた。七夕の日だったのか。  そうだとしても、我が家は頭痛と食欲減退と茄子を糠床に漬けた日でしかない。星に願いをかける歳ではとうになくなり、願いがあっても心温まるほほえましいものになる自信はないのだった。  でも、ひいはどうだろう。  あまり余計なことは望んでいないようだ。  ひいはいつも通りが続くことを願っているように思う。それはたぶん、オトウとオカアがいてひいがいて、朝がきて、夜がきて、また次の朝がくることが大事といったもの。あとは、「群れの大切な巣なんだから変なヤツくるな」くらいだろうか。  それは「平和」の二文字なのではないのか。この二文字のほかに、一文字でも加えたらだいなしになる。  ひいよ、竹飾りと短冊の用意がないから、ここにちゃんと書き留めておく。  今夜、星は見えないだろうけれど。

ひいへの手紙

 満月さんがブログでひいのことを紹介してくださった。  ほんとうはこの日記の紹介なのだが、恥ずかしいので「おまえのことだよ」とひいに伝えた。もしかしたら、どこかに出かけたとき「これが、ひいちゃんですか」と誰かに声を掛けてもらえるかもしれない。「よかったな、ひい」  この満月さんの一件で、「犬と生きる、ひかりと暮らす。」を書き続けてずいぶん経つなとしみじみ思った。ひいが我が家にやってくるすこし前のことから書いているので、その点ではタイトルに偽りはない。よくもまあ、続いたものだ。 「犬と生きる、ひかりと暮らす。」の正体はなんだろう、とも考えさせられた。  日記と言って間違いはないけれど、日記は自分が自分のために書くもので、そればかりではないような気がする。オトウとオカアの話の種にもなるし、ひいを知っている人への近況報告でもあるし、ぜんぜん知らない人が読んでくれているだろうと頭の片隅にある。だけど、まだ何か違うものがある。  この文章を書いている今もそうなのだが、頭の中にひいの顔があって、キーボード打つ指が止まるたび、「ひい、どう思う」と話しかけている私がいる。  ひいに手紙を書いているようなものだ。  ひいはインターネットなんてものを知らず、そんなところに自分宛の手紙が書かれているとは思ってもいないだろう。 「手紙ってなんですか」  と何もわかっていないのだ。  手紙というのは、その人に伝えたいことを書いたもので、その人だけが読めるものだよ。まあこれは、いろんな人が読めちゃうんだけどね。  この手紙は、書くのにうんうんうなることもあるけれど、そんなときでも私は楽しんでいる。ひいとじゃれあっているときよりも、楽しいかもしれない。なぜかとても、ひいを身近に感じられるのだ。  いつか、この手紙がひいにも読めるようになるときがくる。手紙を読んで、笑ったり、怒ったり、恥ずかしがったりしながら、オトウがそこへ行くのを持っていてくれ。まだ、ずっとずっと先のことにしたいけれど。  親展。ひい様。 ※満月様、ありがとうございました。ぜんぜん知らない人が、ひいのことを知ってくれたかと思うと、とても愉快です。