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3月, 2012の投稿を表示しています

こわいからヤ

   ひいは散歩が嫌いだ。  しかし我が家にきたばかりの頃は私と近所の大きな公園に行き、小高い富士山型の丘を駆け上ったり、駆け下りたりするのを楽しみにしていた。いまでは、その公園に行くことすらいやがり、私のひいと駆け回りたい欲求は満たされなくなった。  ひいが散歩ばかりか家の外を嫌うようになった理由ははっきりしないけれど、ある夕刻、家を出てしばらくしたところで荒っぽい運転の自動車とすれ違ったことが関係しているように思えてならない。  その自動車は近所の人のもので、散歩に行こうと玄関を開けたときからこの家族が激しく喧嘩する声が聞こえていて、これにひいはおびえていた。家族喧嘩の末に、むしゃくしゃするから自動車を出してどこかに行こうとしていたのだろう。アクセルを気ぜわしくふかし、道の隅にいる私と妻とひいにおかまいなしにすれすれの所を通っていき、あれではひいでなくてもトラウマになるというものだ。  このときの怖さは単に自動車に轢かれそうだからというものではなく、運転している人の怒りなどの感情の昂りがひしひしと伝わってきたことが大きい。ひいも同じように感じたらしく、このできごと以来、あのときの自動車のエンジン音を嫌うだけでなく、その家族の足音を憶えていて外を通りかかっただけで吠えるようになった。  ひいは、このほかに奇声を上げる子供と騒がしい若い人を嫌っている。つまり興奮状態にある人間が恐ろしいらしい。  ではひいは家の外や、家の外で出会うものは何もかも嫌いかというと、そうでもない。Aさんの元から巣立った犬たちが集う同窓会では、ドッグランを縦横無尽に駆け回り、この場にいる飼い主たちを怖がることはまったくない。飼い主の家族の中には子供もいて、大人だって楽しげに歓声をあげているのにである。これは犬好きばかりが集まっているからなのか、その場の雰囲気がよいせいなのか不思議だ。  雰囲気といえば、ひいは敏感に群れの雰囲気を読み取る。前回の同窓会は天気が崩れはじめたので予定より早く解散となったのだが、人間たちが「そろそろ帰りましょうか」といった素振りを見せるや、たくさんいる犬のうちひいだけが憂いのある声でクウクウ鳴き出して、三々五々とみんなが帰って行っても鳴きやまなかった。どう見ても「ヤだ、ヤだ。みんなともっとここにいたい」と訴え、願いがかないそうにないのでひどく悲しんでいる様子

飛行機を見てたのか

   ベランダに出て遠くの山のてっぺんのずっと上を眺めていたら、開け放っていたサッシの向こうでひいも空を見ていた。別に変哲もない春のくもり空だ。旅客機が飛んできて、ゆるやかな角度で上昇し、ゆっくり視界を横ぎって行く。音はなく、静かだ。ひいの視線は飛行機を追っている。やがて飛行機は点になり見えなくなった。ひいは「ふう」と小さくため息をついた。 「飛行機を見てたのか」  と声をかけると、ひいはこちらに顔を向け私を見つめた。  ひいはたぶん飛行機を知らない。大きな鳥だと思っているのだろうか。しかし、これまで鳥に興味を持ったことは一度もない。「あれは何だろう」と不思議だったのかもしれない。  ひいはまだ私を見つめている。  何かを強く訴えかけているのだ。 「何でしょうね、あれ」  と言いたいのかもしれないと思った。  あれは飛行機と言って、人や荷物を載せて空を飛ぶ乗り物だ。犬だって乗ることができるけれど、犬はクレートに入れられ荷物室みたいなところに乗らなくちゃならない。だからアメリカのように遠いところへ行くときは、十何時間も別々に過ごすことになる。アメリカって言うのは海の向こうにある国で、人間はオトウたちと違う言葉で喋っていて、でも犬はひいと同じ言葉だと思うよ。オトウはアメリカに行ったことがある、オカアはアメリカに住んでいた。まあ、あの飛行機はアメリカに行くわけではなさそうだけれど。  ざっとこのようなことを答えてみた。  しかしひいは微動だにせずやけに真剣な表情をしたままで、こんなことを知りたいわけではないみたいだ。そして真剣だからといって、チッチをしたいから外に出たいというとき、甘えたくてしかたないとき、の眼の色でもない。  ふと思った。ひいは空と空を横切るものに何かを感じたのだ。それは何ものにも代え難い気持ちで、これを私と共有したいのかもしれない。  あのとき私は何を思っていたか。  私は空と飛行機に漠然と〈春〉を見ていた。飛行機の荷物室のことや、アメリカのことなどこれっぽっちも考えていなかった。心にあったものはいまにも消えそうな感覚で、言葉にしようとするととたんに脚色されて嘘っぽくなるものだ。〈春〉という単語では伝わらない、とても個人的で、あのとき限りの何かで、しかし大切にしたい感覚。でも言葉にしなければ、もうすぐ忘れてしまう。いや、こうしている間にも気持

もう寝ようよ

 妻はひいに「オトウへの要求が激しすぎる」と言う。  外でチッチしたい、かまってほしい、ご飯を食べたい、おやつがほしい、寝室に行きたい、といったとき私はひいに真剣な眼差しで見詰められ、それでも願いがかなわないときはクウと鳴いたり、前脚でトントンと叩いてくる。  一匹ではできないことだから要求してくるのだけれど、寝室へ行くのは私の手を借りるまでもない。もちろん自分で勝手に寝室へ行くこともある。それでも強く要求してくるのは、「いっしょに寝ようよ」と言っているのだ。  こんなときいっしょに寝室へ行くふりをして隣り合っている自室の机に向かうと、ひいは「ちがうでしょ」とばかり私の足もとをうろうろする。これを無視していると、椅子に座っている私の太ももに前脚をかけて立ち上がる。これでも願いがかなわないとなると、ようやくあきらめて一匹でベッドへ向かう。  しばらくして寝室を覗くと、ひいはベッドの羽布団の上で丸くなったり、布団にもぐり込んで顔だけ出していたりする。布団を掛けて寝ているときは、必ず妻が寝る側を陣取っている。つまり、私が寝る側を開けているのだ。ひいの理想は、こうやって待っているうちにオトウがいつもの場所に横たわり、並んで眠ることらしい。  ひいが布団の上にいようと、布団を掛けて寝ていようと、「しかたない、ちょっとだけ付き合うか」と横たわるのは危険だ。私たちは「ぷーぷーガス」と呼んでいるのだが、ひいから濃密な睡眠ガスのごときものが出ているのか、そばにいるだけで睡魔に襲われ、深い眠りに引き込まれてしまうのだ。ちょっとだけ並んで寝ころぶ、では済まなくなる。  私が「ぷーぷーガス」にやられてひいの隣りで寝入ってから妻が寝室へやってくると、ひいはそそくさと起きあがり、今度は私の布団にもぐってきて股の間に入り込む。こういったところは群れの中の順位をちゃんとわきまえているわけだが、妻がいなければ彼女の場所を独り占めしているということは、自分のことを第二婦人と思っているのかもしれない。  犬の幸せがどのようなものか考えると、おいしいものを食べるときやドッグランを縦横無尽に駆け回るひいの姿が思い浮かぶのだけれど、これらはイベントだよなと思う。  犬は何かと不器用な生きもので、猫のようにしなやかな身のこなしはできないし態度も直接的だから、にぎにぎしい印象があるかもしれないが実は落ち着い

一年

 2011年3月11日午後2時46分、小さな振動が瞬く間に暴風雨に翻弄される小舟のような揺れに変わり、その不気味さと怖ろしさは妻にひいを固く抱きしめさせ、いまにも放り出されそうになる食器を案じて私は棚を全身の力で抑え付けた。わかっていたのはただごとではない大地震に見舞われているという事実だけだった。  このとき私たちが住む街は停電した。電源を失ったテレビは観られず、いったい世の中がどのようになっているのか理解できず、二人と一匹の群れは一塊になって揺れが収まった居間でぼんやりするほかなかった。尋常な気持ちでなかったことは、電池で動くラジオがキッチンあるのに気付いたのがずっと後だったのでもよくわかる。無事だったガスの火に土鍋を掛けて飯を炊き、大急ぎで握り飯をつくり、明るいうちに食事をし、暗くなってからは蝋燭と石油ランタンの乏しい光を群れで囲んだ。光をどうにか絶やさないようにしなければならないと必死だった。  一夜明けて、コンビニエンスストアに行ってみると棚はほぼ空っぽで、私は最後の一袋となっていたポテトチップスを切ない気持ちで非常食料として買った。残りわずかになっていたトイレットペーパーを求めてドラックストアに行くと、すべて売り切れ。米とひいの餌があればなんとかなると私と妻は語り合うほかなかったが、米びつの中に余裕があったわけでなく、どこへ行っても米だけでなくパンも品切れが続いた。いま思い起こすと、春らしい明るい陽射しに似合わず行き来する人の眼は緊張にこわばり、街は静かながらも3月10日までとは違っていた。  あの日以来、ひいは人が感じないほどのわずかな地震の揺れにさえ素早く反応し、すくっと起きあがって背中の毛を逆立て一声吠え、うろたえながら怖ろしげにか弱い鳴き声を喉からしぼり出すようになった。大丈夫と抱きしめても、しばらく動揺は収まらない。  これまでも災害のとき避難場所に連れて行けないひいをどうするか話すことがあった私と妻だが、この懸念はより現実味と切実さを増した。クレートに入れさえすればとりあえず避難場所に連れて行けると聞き、クレートを買い、ひいがクレートの中を好むように躾けようと考えたが、恐がりで神経質なひいが避難場所の環境に耐えられるか疑問になり、壊れた家で二人と一匹で暮らすほかないかもしれないといま悩んでいる。  もともと不安症の私は、いまある生活が根

つけまつける

 里親募集サイトに掲載されている無数の犬の中からひいを選んだのは妻だ。まずひいの口が黒いところに目が止まったという。リアルな劇画は別として、マンガでは「これは犬ですよ」という記号としてマズルが黒く塗られがちで、妻が思い浮かべる犬もこういった犬らしい。この手の犬はマズルを黒く塗ってお手軽に犬にしているわけだから主人公や重要な役どころではない。ちなみに妻は犬種がはっきりした犬よりも雑種のほうが好きらしく、テレビに国内外を問わず見知らぬ街が映し出され画面の隅っこに何種が親かわからない犬がいると指さし「ほら、犬」と言う。主役ではなく、端役の通行人Aのような存在に味があると思っているようだ。  はじめて里親募集サイトのひいの写真を観せられた私は、「泥棒みたいな犬だな」とちゃかした。これまたマンガで泥棒の記号として描かれる口の周りの真っ黒なヒゲを連想したのだ。いたいけな幼犬を泥棒だなんてひいにとっては失礼な話だが、これまで飼っていたのが茶柴と純白の雑種犬だったからマズルが黒いのは物珍しかった。  ひいと暮らしはじめると、マズルが黒いことよりも顔の色合いの妙に心が惹かれるようになった。鼻先と鼻筋と口角までだけでなく、眼の周囲がアイラインを引いたように黒く、そのアイラインは目尻からさらに先へすっと伸びている。またチークで顔の立体感を出すみたいに、やはり黒い筋が眼の下を通っている。まるで整えて描いた眉としか思えないものがあり、つけまつ毛かマスカラを使ったような隙間なく並んだ黒いまつ毛が生えている。そして耳は体とは絶妙な具合に違う焦げ茶色で、顔のメイクと全身との調和を保っている。散歩道で擦れ違う人には茶色くて口が黒い雑種犬としか見えず、流行りのトイプードルや高そうな犬のほうに眼を奪われるだろうけれど、いっしょに暮らす私にはひいの顔は大袈裟に言うと神が意図した造形としか思えない。  雑種犬は色や形に工夫のしがいがあると神様は楽しんでいるようだ。ひいの兄弟姉妹のリュウ君は四本の脚の先がハイソックスを穿いたように白く、マロン君はふわふわのロン毛で、風花ちゃんは明るい美しい毛色をしている。神様はこうやって仔犬たちをデザインしながら、「さて、この仔はどうしたものか」とまだ形になっていないひいのことを考えたのかもしれない。内気で恐がりな仔には、「女の仔だし、つけまくらいつけてやろう」と気遣っ