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投稿

ごめんなさいです

ひいの成長を振り返ると、まだ幼児なのだとはっきりわかった我が家にきた当時、いろいろなことを学習したけれど行動に幼さがあった時期、大人である私たち夫婦から見て無駄な行動がなくなった時期、そして六歳ともなると人間の大人がそうであるように性格がはっきりして変えようのないものになり、持って生まれた遺伝と生育環境との関係を飼い主なりに考えさせられる。ひいは甘ったれで、私に対する甘えは自分が群れの一員として認められ尊重されている証とでも思っているらしく、ときに強く我を通そうとする態度となって現れる。  先日までオカアは体調を崩していたので、ひいはこれを鋭く察知し我が儘を我慢していたようだった。オカアの体調がよくなると、これまた鋭く察知し、私に対して「外へ行きたい!」などと強い態度で要求しはじめた。「外へ行きたい!」は小便をしたいとほぼ同義なので、そのつもりでドアを開けてやるのだがあっちへふらふら、こっちへふらふらするだけ。暑い日盛りに長々とやるようなものではないから、ひいを家に入れる。すると私が何かに取りかかろうとするタイミングを見計らったように、「外へ行きたい!」だ。つまり、愛情確認。いかにオトウが反応するかで、自分が愛されていることを確認したいだけなのだ。  もし私が「外へ行きたい!」を無視すると、ひいはイライラしてくるらしくワンと吠える。「気付いてよ!」である。これで私がひいの願いをかなえてドアを開けてやっても、あっちへふらふら、こっちへふらふらするだけ。これでは駄目だと思い、私はひいを叱り、ケージの中に入れて放置した。その後ケージから出したが、要求を拒み続けた。  するとようやく自らの我が儘な愛情確認が引き起こした事態に思い至ったようで、私と微妙な距離を取り悲しげな後悔の顔をした。そこで「我が儘は駄目だ」と言いつつ、ひいを撫でてやった。ひいとしては自己嫌悪に陥っていたらしく、距離を取り悲しげな後悔の顔をするのが夜まで続いた。  夜がふけ、私がベッドに寝そべるとすかさずひいは布団にもぐり込んできてぴったり体をくっつけてきた。そして、私が寝返りを打って姿勢を変えるたび、なんとかして体を密着させようとし続けた。 「ごめんなさいです」  のつもりであり、こうして愛情を別のかたちで確認していたのだろう。  たぶん私がひいを甘やかしすぎたのだ。  とはいえ、程よい愛情のかけか…
最近の投稿

急病かと慌てる

昨夜、夕飯を食べていたら、テーブルの下からカチャカチャとひいの爪が床に触れる音がし、それは聞き慣れたものと明らかに違った。滑っているような、必死に体勢を立て直そうとしているような気配に嫌なものを感じ、覗き込んでみると、腰砕けになりそうになって後ろ脚を振るわせながら持ちこたえているひいの姿があった。
「なにか変なもの食べた?」
 不安に満ちた妻の第一声に、何ごとが起こったか理解できず呆然としていた私は頭から冷水をかけられたような気がした。
 椅子から離れ床にしゃがんでひいと目線を合わせると、後ろ脚が麻痺して自由が利かない不自然な歩きかたでひいがテーブルの下から出てきた。時計を見上げる。診療時間は終わっているが、動物病院にまだ誰かがいてもおかしくない時刻だった。動物病院の診察券に記された番号に電話をかける。
「186をつけるか、番号通知電話からお電話ください」
 と機械の声がした。
 186をつけてみたが、留守電になっている。
「私、走って行って、診てもらえるように頼んでくる」
 妻が携帯電話を手に取り家を飛び出した。
 ひいはなんとかソファーにあがり、お座りをした。どうしたんだ、ひい。しびれるのか、痛いのか、それとも苦しいのか。私は問いかけつつ、ひいを見守るほかなかった。なかなか妻から連絡がない。かかりつけの動物病院まで、歩いても五分といった所だ。先生と交渉をしているのだろうか。こんなことならと、ひいを抱いて私も動物病院に行こうとしていると妻が戻ってきた。
「今日、水曜だった。休診日」
 私たちは曜日すら忘れ焦っていたのだ。
 ひいはソファーの上を行ったり来たりしている。もう麻痺している様子はない。しかし、安心してよいとは思えなかった。私は表に出てクルマに乗り込み、カーナビに動物の夜間診療所の住所を打ち込んだ。いつか必要になるかもしれないと保管していた夜間診療所のパンフレットが手元にあるとはいえ、新型とは言い難いカーナビの反応が遅く住所の打ち込みが捗らない。くそったれ。いつも右へ曲がれ、左斜め側道に入れ、直進しろなどと何もかも知り尽くしているような態度のくせして、肝心な時、おまえはなんでこうも役立たずなんだ。
 クルマに乗り込みエンジンをかけたせいで、ひいは私がどこか遠くへ行ってしまうと思ったらしく、一緒に乗りたいとクルマの周囲をリードを手にした妻とぐるぐる回っ…

謹賀新年 2014

あけましておめでとうございます。
 年賀状ひとつ書けない私をお許しください。
 妻とひいは心身とも健康に過ごしております。
 私は一年の重さに耐えることができません。投函して舞い戻ってくる賀状、行ったきりの賀状を想像し、今年も年賀状が書けませんでした。私の不徳を差置いて、皆様の新年の声を期待することもできません。
 このような辺鄙な場所にあるブログに新しい年の挨拶を書き、しかも言い訳がましい内容では挨拶にすらなっていないのは承知の上で、新年の平和を祈らせていただきます。よい一年でありますように。
 ひいよ、こんな情けないオトウを見限らないでくれてありがとう。おまえと一緒に眠る布団は温かい。背中をぴったり私にくっつけて、私が寝返りを打つたび、おまえはどうしたらまた密着できるか考えてくれる。毎日が〈 I feel wonderful tonight 〉だ。
 どうか、この一年も群れが安泰でありますように。

新しい年も私はぬくぬく寝て過ごします

内外騒がしい中、朝のコーヒーが自宅で飲めて、夜は布団で眠れることを幸せと思わなくてはならないだろう。気分は重くすぐれないが、妻は笑いかけてくれ、ひいは私に寄り添って眠ってくれる。
 正月の支度に一生懸命になっていた頃は、カレンダーが更新される日をなぜあれほど一大事と考えていたのだろう。いったい一月が訪れて暦以外に何が変わるというのか。地球の公転は止まる気配すらないというのに。
 と言いながらも、小さな鏡餅を供え、小さなしめ縄を玄関のドアに掛ける。この家とこの家の住人である私と妻とひいのために。そして祈る、私はどうなっても構わないが、妻とひいが健康でありますように、と。
 ひいはベッドの上、布団に自分の巣をつくってまどろんでいる。
 年末も来る正月も関係なく、ひいは健やかに過ごしている。ありがとう、ひい。私たちの群れに欠かせない、ひい。私がかろうじて正気を保っているのは、おまえがそばにいてくれるからだ。もうすぐカレンダーを掛け替える日がくるが、その新しいカレンダーが終わる日までの一年もひいが安心して暮らせますように。

メリークリスマス、Ms. ひー

子供の頃から、クリスマスは特別な日に違いないのだが、さほど重要な感じはしなかった。私にとってメリークリスマスの言葉が心にしみたのは、新潟に住んでいたとき夕暮れからとつぜん小雪が降り出し暖房の熱で窓ガラスが一瞬にして真っ白になった日と、月並みだが映画「戦場のメリークリスマス」でビートたけしが演じた坊主頭のハラが〈 Lawrence 〉と大声で呼びかけ、〈 Merry Christmas, Mr.Lawrence 〉と日本語そのままの発音で言ったシーンの二つだ。
 ハラは明日、処刑される。しかし、ハラのみならずこの世のすべてが赦された瞬間だ。一九八三年の公開当時、私にはよく意味のわからなかったハラの「メリークリスマス」だが、いまは胸をえぐると共に遠いところに気配として漂う安堵の存在が確信される。
 いろいろなことが私にも妻にもあった今年のクリスマスイブだったが、それは日常の枠の中の出来事で特別なものではなかった。それは、ひいにとっても同じだったろう。犬用のクリスマスケーキもプレゼントも私たちは用意しなかった。しかし、私たちの群れが一緒に何ごともなく一日を過ごせたことを「特別ではない」と言える幸せを噛み締めなければならない。
 メリークリスマス、ひい。メリークリスマス、疲れ果てた世界。メリークリスマス、人間たち。

私、気になります(その2)

ごくごく普通の住宅街の、とある一軒が空き家になった。これだけで界隈の生態系が激変するなんて言ったら、大袈裟すぎると笑われるのがオチだ。私だって住人がいなくなった三年ほど前、どこかから放火魔がやってきて目を付けられたら嫌だなと不安を覚えても、生態系の「生」の字すら思い浮かべることはなかった。
 この空き家の周囲でしばしば猫と遭遇するようになった。住人がいなければ家の中に入れなくとも敷地内で安心して休んだり眠ったりできるのだろう。そして、この猫はいつの間にか子連れになっていた。そうこうしているうちに、あれよあれよという間に猫が増え続け、発情期になるとあっちでギャー、こっちでウニャーと壮絶な声が轟く日々である。
 ご町内の人口密度ならぬ猫密度がかなり高まっているらしく、新天地開拓や縄張り拡張の野望を持って徘徊する猫同士の鉢合わせで、喧嘩は昼夜を問わず繰り広げられる諍い。そして喧嘩の勝者である大きなトラ猫が、我が家と隣家を別荘地として占領した。丸々と肥えているので、どこかに本宅があって餌をもらっているのだろう。
 ある夜、外へ出ようとドアを開けると玄関脇の物入れの上から黒い影が素早く飛び退いた。その場の薄暗さとあまりの敏捷さに何がなんだかわからなかったが、遠ざかって行く姿は間違いなくあのトラ猫だった。家の中に犬がいてもおかましなし。犬なんて、猫のすばしっこさと跳躍力があれば追いつけるはずがない、と自惚れているのだ。ひいも猫全般に悪感情がないから、自分のテリトリー内、いや巣の周囲で昼寝をしたり夕暮れにまったり休んでいたりする分にはどうでもよかったらしく吠え声ひとつあげなかった。
 だが、このできごとの直後からひいにイライラが募ってきたのが見てとれる。昼寝だけでなく、カーポートに停めてあるクルマの下に食べたものを吐いたり、糞をされたのはさすがに頭にきたようだ。巣を汚されてはたまらない。そりゃそうだろう。
 ひいはしばしば、
(気になります!)
 と外に出してくれと要求するようになった。クルマの周りをあっちをクンクン、こっちをクンクン探って何周もする。まるで整備工のようにクルマの下へもぐり込もうとまでする。
 ついに、我が家に猫の赤ん坊が五匹登場する夢を妻が見るに至った。「このままにはできないし」と言い、私が動物病院へ連れて行こうと提案したのだそうだ。夢の中で私たちは猫の赤ん坊をそれぞれ抱…

私、気になります(その1)

誰かが千葉県富里の動物愛護センターに持ち込んだ乳飲み仔四頭のうちの一匹がひいだから、本当の誕生日はわからない。ただし、逆算すると十月のはじめ辺りに生まれたようで、こうなると天秤座生まれであるのは間違いなさそうだし、私の誕生日と同じ十月二日を誕生日とすることにした。
 今年の誕生祝いは、温泉卵を餌に入れてあげること、そして首輪を新調することと決めていた。しかし、目をつけていたてんとう虫の刺繍のチロリアンテープを使った首輪は売り切れで注文製作になり、昨日、やっと手にすることができた。
 家に戻ってペットショップの袋から、ついでに買ったおやつと新しい首輪を取り出すと、いつもならおやつに興味津々なひいが食べ物には見向きもせず、(気になります!)とまっすぐ首輪に向かって行った。
 さらにてんとう虫の刺繍の首輪をつけると、モデルよろしく私と妻に見せびらかすように歩いた。私がこの場を離れると、自室まで追いかけてきて飛びつき、(もっと見て! 新しいの見て!)と居間に呼び戻らされた。私たちのうれしさが自分の首輪にこもっているのがわかるのか、それとも自分だけのものをもらった喜びなのか、とにかくひいはてんとう虫の刺繍の首輪の意味を理解しているらしい。
 仔犬はたしかにかわいい。でも、人と暮らし続け気持ちを互いに解りあえるようになったそれなりの歳の犬は、さらにかわいいものだ。